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先生方の寄稿

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先生方の寄稿 鮭白子核酸・核タンパクへの思い NPO法人遺伝子栄養学研究所理事長  松永 政司

私の母は、優しくて、きれいで、歌が上手で子供心にも自慢の母だった。しかし“しつけ”は厳しかった。ごはんを一粒でも残すと怒られた。何せ食卓に上った物は全部食べないと怒られるのだ。一番困ったのは鰊の白子を焼き直して「はい食べなさい」と言われた時だ。焼き直すのはあたりやすいからだが、何せおいしくない。鼻を押さえて目をつぶって何とか食べた。
昭和19年北海道の伊達紋別町(今の伊達市)で生まれた私の幼少時代は食糧難、何せ食べ物がなかった。ただ、北海道は鰊が豊漁で小学校や幼稚園に通っていた四人兄弟の食卓に鰊が一尾ずつ丸々載ることがあった。おなかを開けると数の子が入っていた。今とは違って数の子を除いて鰊を売るようなことはなかった。数の子はおいしかった。しかし運が悪いと数の子ではなく白子が入っていた。数の子はメス、白子はオスだから確率は2分の1。だから運の良さも2分の1の確率。おなかを開けた時は、天国と地獄の差異があった。しかし、嫌々食べていた白子にもすばらしい点があった。何故か白子を食べた日や翌日には元気が出たのだ。
話は飛んで今から28年前のこと。縁があってノーベル化学賞と平和賞のダブル受賞者であるアメリカのポーリング先生のご自宅でお酒を飲む機会があった。お酒の勢いもあり、先生に下手な英語で「何故、ビタミンCの研究をしたのですか」と質問をさせてもらった。ポーリング先生の専門は量子化学、私の先生の福井先生も量子化学でノーベル賞を受賞しているが、私は二人の偉大な先生の門下生のような立場で量子化学を研究していたが、ビタミンCと量子化学の関係について接点を見出せなかったのだ。
その時、ポーリング先生は英語の下手な私にゆっくりと説明してくれた。先生は体が弱くよく風邪をひいていたのが、アメリカの町医者のすすめでビタミンCを摂ったところ、風邪をひかなくなったということ。そこで、量子化学の学問的背景を武器にビタミンCの研究を行い、世界の人々の健康のために役立ちたいということ。
私の英語力を知っている人からするとへぇーと思うかもしれないが、先生の説明は理解できた。私は大変感動した。研究とはそういうものなのだ。やはりノーベル平和賞をとる先生は違うのだ、と。
「よし、私も先生のようにやるぞ」と思ったものだ。この時37才。何か私の新しい人生が始まる予感がした。
しかし、そうは思ってみても何をやるかのテーマがあったわけではない。なにせ京都大学で博士課程の研究を行った経験のある私には、研究とはこういうものだという強い思いがあった。それは、決して他人のマネゴトをしてはならない、独創的なものでなければならないとの思いだ。
京都大学の京の字は、本当は狂の字なのだ、狂都大学というほうが正しいのだという京都大学出身の先生がいる。私もその一人だ。
何か新しいことをやろう、と思い悩んでいる時、ふと思い出したのは鰊や鮭の白子のこと、白子を食べて元気になったことを思い出したのだ。
これが、私の新しい人生が始まるとの予感に現実味を与えた。よし、白子の研究をやろう。
白子は精巣、当然ながら核酸DNAが豊富に含まれている。DNAは糸状の物、タコ糸の様に絡まない様に糸巻きに巻きついている。その糸巻きの役割をしているのが、プロタミンと呼ばれるタンパク質、糸と糸巻きがくっついた状態を核タンパクという。
当然、核酸、核タンパクの栄養学的価値について調べてみた。教科書には核酸は吸収されない利用されないと書いてあった。その時、私は思った。教科書を否定して新しい教科書を作る研究をやるのが狂都大学、新しい人生にますます確信を持った。
しかし、新しい研究はなかなか評価されないもの。週刊紙に「ブタの遺伝子を食べて鼻が丸くなるか?ならないのは吸収されないからだ。」との変な論法で叩かれもした。
しかし今は違う。赤ちゃんの粉ミルクに核酸や核酸成分を入れる時代になった。核酸添加粉ミルクを扱わない乳業メーカーが全くと言ってない程に核酸が評価される時代になった。これこそが研究者が研究者として最も生きがいを感じる時。最近は、その生きがいを感じる機会が多くなった。
核酸・核タンパクを愛用している人から感謝の言葉を聞く機会がどんどん増えているのだ。
37才から始まった核酸・核タンパクの研究、この研究は死ぬまで終える事はない。愛用者の幸せな顔をバネにして私の研究は続く。

NPO法人遺伝子栄養学研究所理事長 松永 政司 先生
NPO法人遺伝子栄養学研究所理事長 松永 政司 先生
京都大学工学博士、昭和大学医学博士。
NPO法人KYG協会 副理事長